脳内たおや化

真面目な話も、しょうもない話もかきます。脳内のたおや化を目指します。

きれいごとに嫌悪感を抱く自分に嫌悪感を抱く

お久しぶりです。

最近自炊最強人間です。 

きれいごとって、誰が考えた言葉なんでしょうね。

絶対性格曲がってるでしょ。笑

私にとってきれいごとってなんだろう。

私が「きれいごとだな」って感じるのって、どんなことだろう。

何をもってきれいごとだと思うんだろう。

 

私は自分の感情と向き合うのが苦手です。

 

自分の心の中にある黒いものや、汚いものを極端に毛嫌いをするし、きれいごとも好きじゃない。

 

考え過ぎてしまう性格とは死ぬまで付き合っていくことになるんだと思います。

 

今回の、

きれいごとに嫌悪感を抱く自分に嫌悪感を抱く

ということについて書こうと思ったきっかけはあるのですが、それは言わないことにします。

 

きれいごとって、現実的であるかどうかで測られるんじゃないかな。思いつきだけど。

 

非現実的で、誰もが望むようなこと。でも、これじゃ絞り切れていませんよね。

 

「優しい人になりたい」

 

これは上記に当てはまりますが、きれいごとではないですよね。

 

一般的なきれいごとって例えばどんなことがありますかね。

 

「人は見た目より中身」

「学歴なんて関係ない」

「愛していれば何でも許せる」

「お金なんてなくても幸せ」

 

意外と例文出すのも難しいですね。

でもこれらって、非現実的とか現実的とかそういう感じではない気がするなぁ。

 

誰しもが、本当はそう思いたいと思っていること?

 

わかんないや。

 

なんできれいごとに嫌悪感を抱くんだろう

自分がそれを信じることができないことが悔しいから?認めたくないから?ほんとは信じたいけどそれを信じられなくなった経験があって、それをまだ信じている人のことが羨ましいから?妬ましいから?

 

なぜきれいごとに嫌悪感を抱く自分に嫌悪感を抱くんだろう。

 

そもそも何かしらに嫌悪感を抱く自分なんて好きになれないのかな。いやそれはないでしょ。なんか悪いことした人に対して嫌悪感を抱かなかったら逆にそんな自分に嫌悪感を抱くんだろうな。