ジャケットの一番上のボタンが、取れかけている。
もう何ヶ月もずっとこの状態だ。
家に裁縫道具はあるし、縫い直す時間だっていくらでもある。
それでも直さないのは、当然面倒だからといえばそうなのだが、それだけが理由ではない。
このボタンが、最後の力を振り絞ってそこに留まろうとしてくれている姿が愛おしいからだ。
こいつは、他の誰のためでもなく、私のためだけに、踏ん張ってくれる。
私がこのジャケットを着る度に、こいつは「またあの苦行を耐え抜かなければならないのか」と穴から覗かせた顔をしかめる。
一日の終わりに私がジャケットを脱ぐと、ずいぶんと長くなった首をもたげ、疲弊し切った様子を見せる。
私は、その様子がたまらなく愛おしくて、わざわざジャケットを着なくても良いような日にジャケットを着て、わざわざ閉めなくてもいいボタンを毎回閉める。
いつかこのボタンがとうとう取れてしまったとき、私は針と糸でこいつをジャケットに縫い付けたいと思えるのだろうか。
このボタンを除けば、ジャケットの状態はかなり良いし、デザインも気に入っている。使い勝手も良い。
でも、こいつは、またジャケットに縫い付けられることを望んでいるだろうか。
こいつのしゃんと前を向いた顔と、太く短くなった首を、私は愛おしいと思えるだろうか。
もし私がボタンが取れただけでこのジャケットを捨ててしまったら、ジャケットはどう思うだろうか。
自分は修復の手間すら惜しまれるほどの存在だったのだ、愛されてなどいなかったのだと思うだろうか。
私がこのジャケットを気に入っているのは、このボタンが取れかけているからなのだろうか。
私はこのジャケットを、ボタンが取れかけるまで着続けた。
このボタンが取れかけるまで、このボタンの存在なんて、意識に上らなかった。
ただ、このジャケットを気に入っていたから何度も着た。
私は、このジャケットを気に入っていた。
今もこのジャケットを気に入っている。