脳内たおや化

真面目な話も、しょうもない話もかきます。脳内のたおや化を目指します。

渋谷

渋谷が嫌いだ。

店も、広告も、人も、何もかもが、人々の視線を奪い合う。

視線をかき集めるためならなんでもする、とでも言わんばかりの必死さは、清々しくすらある。

 

視線を集めることに全力になることを、恥ずかしいと思う自分が嫌いだ。

昔からそうだった。学生時代の楽しみなんて、目立つ同級生の言動を仲間内で馬鹿にすることくらいだった。そんな自分は、そいつらよりも達観しているんだと、愉悦に浸っていた。その優越感のくだらなさに気づいたときには、自分の相手をしてくれる人はいなくなっていた。本当は、自分は誰よりも注目されたかった。誰よりも、一目を置かれる存在になりたいと思っていた。でも、それに気づかれたくなかった。目立たずとも視線を集めることこそが美徳だと思っていた。「目立ちたがり屋」と笑われることが怖いだけなのに、その美徳に縋ることで、特に取り柄のない自分に目を瞑っていた。

 

渋谷は、そんな自分の存在になど見向きもせずに、「目立ちたがり屋」と笑われることを恐れる素振りなど微塵も見せずに、今日も派手やかな彩色に身を包む。

 

昨日、久しぶりに中学の頃の同級生と道端でばったり会った。あっちが先に気づいて、声をかけてきた。特に仲が良かったわけでもないが、10年ぶりの再会だったので、近況を互いに共有しているだけで案外盛り上がった。そいつは、今でも同級生の数人とやり取りをしているらしかった。ふと気になって、そういえばあいつらはどうしてるのかと、いつも目立っていた奴らのことを聞いた。そいつらとは進学した高校も違ったので、全くと言っていいほど何も知らなかった。そいつは、あー、あいつらねー、連絡取ってないからわかんないんだよね、と言った。その答えを聞いて、なぜかホッとした。なぜホッとしたのかはわかっていた。ひとしきり会話を終え、また集まろうと言って別れを告げた後、特に当てもなく渋谷に向かった。

 

渋谷は、相変わらずうるさかった。

うるさくて、眩しかった。

今日も、他人の作った曲を歌い上げる人たちが路上に立ち並び、静かな人集りが彼らを囲う。

渋谷は、何も教えてくれない。

 

渋谷が嫌いな自分が嫌いだ。

自分は、渋谷にはなれない。

本当は渋谷になりたくてもなれないだけなのに、それを認めることができないから、嫌いになるしかなかった。

 

今日も伏し目がちに、道玄坂を下る。