脳内たおや化

真面目な話も、しょうもない話もかきます。脳内のたおや化を目指します。

マスク、みんな着けてるから着ける

「みんなが着けているから着けている」っていうのは、そんなにダメなんだろうか

 

「みんなが着けているからって着けるのは、自分で考えていない証拠だ!」って

同調圧力に屈している!」って

 

そんなこと言われても、みんな着けてるから着けるっていうのも立派な理由じゃないですか?と思う

 

私は、例えマスクが科学的に無意味であるとしても、みんながマスクを着けていたらマスクを着けるし、それに対して居心地の悪さを覚えることはないとだろうなと思う

 

それはまるで「中学に入ったらみんな鉛筆じゃなくシャーペン使うようになるからシャーペン使う」のと同じだ

私は鉛筆好きだけど、みんながシャーペンを使うことにも、自分が周りに合わせてシャーペンを使うようになることにも居心地の悪さは感じない

 

みんなとある程度一緒であることは、共同体の中で生きていく上で大事なことだと思う

不快な思いをする人がいるから服を着たくなくても服を着るべきだし、みんな服着てねっていう法律がある

みんな同じ言語を喋るから意思疎通がしやすい

 

同じであることは便利だ

みんなで生きていくためには必ずいくつかの共通項が必要だ

だから、「みんなこうだから私もこうする」っていうのは社会的動物として備わっていて当然かなと思うし、立派な理由だと思う

 

 

 

ところで、最近の流行りでよくある、何にでも個性を求められるというのはかなり疲れる(元々特別なオンリーワンなんて言うけど、自分を構成する要素においてオンリーワンであることなんてどれをとっても一つもないし、あくまで我々は集合体としてオンリーワンなのであって、かといってその集合体としてオンリーワンであることに価値がある人なんてほんの一握りである、という逆厨二病を発症しているのは一旦置いておいて)

 

みんなと一緒でいる方が居心地がいいのは私だけじゃないのではないだろうか

わざわざ目立ったことをするほうが疲れるし、変に尖っている方が恥ずかしいと思ってしまう

周りと同じであることは、無個性であるとか言われるけど、それと引き換えに信頼を得られる

この人は変な人じゃない、最低限まともな人だ、と判断してもらえやすい

みんなをマネするだけでそう思ってもらえるのは、ヤバい人と思われたくない私にとってはかなりありがたい

 

 

でも、こういう風に、個性に対して省エネでいることに、ちょっとした劣等感を覚えることもある

 

例え自分の意見が周りの大多数と違っても、その多数派に合わせることが別に苦ではない

 

そんな私は、「みんなと同じは嫌だ!」と強く思える人や、多数派に意見を合わせることに居心地の悪さを感じられる人が羨ましい

 

話を戻すが、もちろん選択的にマスクを着けない人は、「みんなと同じは嫌だから」着けないのではない

全員マスクを着けるべきだというのは間違っている!またはマスクなんて意味がない!またはコロナなんて嘘だ!と思って着けていないのだ

 

私はマスクは感染対策に有効だと思うし感染対策をするべきだと思う

よってマスクを着けないのは良くないと思うから(小並感)マスクを着けないことに関しては一切同意できないけど、それは一旦置いておいて、こんなにたくさんの人がマスクをしているのにマスクをしないって本当にすごいなと思う

本当に勇気があると思う

 

「マスクをつけるべきではない」と仮に判断したとしても、私にはそんな勇気はない

「マスクつけたくない」と思いながら毎日マスクを着けると思う

だって、みんな着けてるし

私は、「マスクをつけない人」と思われたくない

 

 

日本人のマスク着用率が高いのは、同調圧力が働きやすいからだ、とよく言う

 

それは確かだと思う

 

同調圧力は、言葉の響きが悪い

個性を潰す悪き日本の代表的な文化として取り沙汰されやすい

 

 

日本で育ったほとんどの人が子供のときから幾度となく同調圧力を感じてきただろう

私は、学校生活において、みんなとある程度同じでいることは共同体で生きていく上で必要不可欠だから、ある程度周りに合わせて生きてきた

 

周りの顔色を見ながら生活するのは割と大変だが、私はそれに関して自分が同調圧力に「屈している」と感じたことも「居心地が悪い」と感じたこともない

 

そうした方が生きやすいし、同調圧力って共同体が共同体であるためにそれなりに必要だからみんなと同じであることを選んできた

 

それによって自分の個性が殺されたとも思わない(自分に個性などないと思っていることは置いておいて、アイデンティティが傷つけられたと感じたことがないという意味で)

 

同調圧力に声をあげようと決意するほどの個性が自分にあったら、これは同調圧力だ!と言える勇気と行動力があったら、どれだけかっこいいだろう

 

みんなと同じであることによって抑制されていると体感できるほど大きな個性は、私にはない

「学校は窮屈だ」と感じたことも、「日本は私には狭すぎる」と感じたこともない

 

はちきれんばかりの個性を持って生まれてきた人たちは、それなりに辛い思いをしてきたんだろうが、オンリーワンであると自ずから強く感じられることが羨ましい

 

繰り返すが、マスクをしない人は個性的でありたいからマスクをしないんだと思っているわけではない

 

ただ、日本で、自分で選択してマスクを着けないでいられる人たちは、本当に勇気があるなと思うのだ

嫌味とかじゃなく、本当に

 

「みんなそうだからそうする」が苦じゃない私からすれば、それに苦痛を感じる人、その苦痛に対して声をあげられる人は、すごくかっこよく映る

 

マスクを選択的に着けないでいられる人、その肝っ玉だけ分けてほしい

 

 

 

本当に、私の長文のブログはいつも論点がずれる

 

みんなに合わせることは良くないと思われがちだし、行き過ぎると辛いだろう

でも、この「みんなそうだからそうする」という理由も、私は大切にしたいこれは、単なる思考停止と断罪されるべきではないと思う

どこにいっても個性を求められるのはしんどいし、みんなと同じであることも必要であることは忘れたくない

一方で堂々と人と違っていられる人の肝っ玉が羨ましくもある

 

私は今流行りの「個性が個性のまま生かされる共同体」と同じくらい「みんなと同じが楽」っていう感覚も大切にして良いと思う

 

以上!!