脳内たおや化

真面目な話も、しょうもない話もかきます。脳内のたおや化を目指します。

一旦、私にバナナマンの魅力について語らせてください

お久しぶりです。

紅葉が待ち遠しいです。

 

突然ですが、私はバナナマンが好きです。

いや、まじで。真顔です。

 

今の私の待ち受け、ホーム画面もロック画面もバナナマンです。

なんならパソコンのデスクトップもバナナマンの好きな写真を敷き詰めたやつです。(テスト直前にイラレでわざわざ作った)

 

語らせてくださいって言ったはいいものの、どこから話していいかまじでわからん。

愛の収拾がつかない。

 

まず、バナナマンは、めちゃくちゃ忙しいんですよ。設楽さんがお笑い芸人の中で年間出演番組本数日本一なのはわりと有名ですよね(今もなんやったけ)

2人ともレギュラー番組多すぎ。

深夜ラジオもやってるし設楽さんは帯持ってる。

 

そんな忙しいのに、2人は毎年夏に単独ライブをしてくださいます。稽古場に籠もって、約1ヶ月間みっちり練習して。

単独ライブは毎年東京の俳優座で行われます。バナナマンのお二人ならもっと大きい箱でも超満員間違いないけど、俳優座が二人にとってお客さんにコントを伝えられる最大限の箱なんだそうです。

そのため、チケットは超プレミア。

まじで全然取れねぇ。

 

二人のコントを形容するときに、よく「舞台みたい」ということが言われます。

もちろん、コントですから、というか、バナナマンですから、めちゃくちゃおもろい。

しかし、脚本家のオークラさん(3人目のバナナマン)と設楽さんの計算し尽くされた台本と、どんなキャラでも変幻自在の巧みな演技力でお客さんの心を鷲掴みにする日村さんの技は、面白さだけに止まらないのです。それはときに恐怖、感動すらも与える。今年の単独ライブ、Sの最後のコントも、みなさん。ね。

 

なんか、もう「実力派」なんて、おこがましすぎて言えません。

 

好きです。

 

私はバナナマンさんのライブに生で参戦できたことは残念ながらありません。handmade works、Sには、映画館でのライブビューイングで観劇させていただきました。

そのときにやはり実感したのは、若年層のファンの多さです。

バナナマンは十年以上深夜ラジオ番組のレギュラーを務めており、それだけでなく乃木坂46の番組の司会もしています。

ラジオで見せるテレビとは違った小学生男子のような一面と、乃木中で見せる親しみやすいけど頼れるお兄ちゃん像が私たち世代の心を鷲掴みにするのです。

 

そして、もう一つ特筆すべきバナナマンの魅力。

それは、彼らの仲の良さです。

2人はとにかく仲が良い。毎年誕生日にプレゼント交換してるし、なんならお揃いのブレスレット持ってる。それは訳わからんやろ。

お互いにとても尊敬し合ってて、相手が自分が持ってないものをたくさん持っていることを知っていて。ラジオではよくイチャイチャしてます。俺が一番のこいつの理解者だってお互い思ってる感じが可愛いです。

でも、同時にその仲の良さに対するちょっとした羞恥心みたいなのも可愛くて。「俺ら、仲いいだろ!」って感じというよりは、なんかこう、「いやいや、別に惚気とかじゃなくて、このエピソード面白いから話してるだけで」みたいな感じが好きです。

 

あと、もう一つだけ。バナナマンの2人は、どちらもTwitterをしていないんですよ。しかもその理由が「芸能人って私生活謎の方がかっこいい」みたいな理由なんですよ。あれ、これおぎやはぎだっけ。おぎやはぎかも。でもおぎやはぎも好きだからどっちでも許してください。

これめっちゃ良くないですか。理由。なんか可愛い。しかも、なんかわかる。私生活を安売りしないのってめっちゃ推せる。なんか、私たち一般人って芸能人の私生活に関心あるけど、その需要に必要以上に芸能人が応えなくてもいいですよね。彼らも人間だし。てかどっちにしろもしアカウント作ったとしても2人とも全然更新しなさそう。そういうところも好き。

 

まぁ、こんな感じで、私はバナナマンが好きです。たくさんの幸せに囲まれて生きていってほしいです。たまには休んでください。いつもたくさんの笑いをありがとうございます。大好きです。日村さん、痩せてください。ランニングのコース道中で蕎麦食べない方がいいと思います。

大学生になってから映画『LA LA LAND』を観て思うことを今更つらつらと書く

お久しぶりです。

 

秋も深まって、肌寒くなってきましたね。

 

焼き芋が食べたいです。

 

私はミュージカル映画が好きです。

高3のときに狂ったようにサウンドオブミュージック観てました。

 

ララランドは、最初の一回映画館で観たのですが、先日地上波で放送されたものを録画し、大学生になった今、改めて観ました。

 

この、私の思うことは完全なネタバレになるので安易に周りの友だちと共有できず、それでも文字にしておきたいと思い、ここに認めております。

 

ララランドをつくった人たちが何を伝えたかったのかはわかりませんが、私が勝手に思ったことを書きます。

 

私がとにかく思うのは、

好きな人と結婚できなくても幸せになれるし、夢も叶えられるってなんか辛い

です。

 

彼女にとって、女優になるという夢を叶えることは、彼の存在なしでは実現し得なかった。

彼にとっての彼女もきっとそう。

お互いにとって自分の人生に不可欠な人だったけど、でも、彼らは結婚しなかった。

ほんとは彼は彼女と結婚したくて、ずっとあの店で待ってたかもしれない。

彼女はプロポーズされたときに彼の顔を思い出したかもしれない。

そんなことを考えると余計に辛いです。

お互いのことを一生忘れないだろうな。

死ぬ時も思い出すだろうな。

 

しんどい。

 

彼女はあの男の人と結婚するという選択をしたことで、彼と結婚しないという選択をした。

何を思ったんだろう。

成長した二人ならきっともう一度やり直せばうまくいくのに。知らんけど。

彼はどんな気持ちで彼女の幸せを願っているんだろう。

誰よりも彼女の夢を応援し、誰よりも彼女の苦悩を知る彼はきっとそれを自負している。

 

いやまじで全然私が彼だったらまじで泣いちゃう。

だってあの店名にしてる時点で未練タラタラじゃん。女々しすぎ。

 

あのお店の存在に気付いて入ろうって言ったのが彼女じゃなくあの男の人なのも、なんか、「くぅ〜っ。」てなるな。

 

こんな語彙力を捨て去ったレビューあるか?

 

私はあまり映画に関する造詣が深いわけではないので、ララランドが映画として良いのか悪いのかとかを語ることはできません。

でも、映画でこんだけ想像を膨らませて思いを巡らせたのははじめてです。

だから、ララランドすげぇな、だし、好きだ、です。急に日本語不自由なるやん。

大人が子供に将来の夢を聞くんだったら子供だって大人の将来の夢聞きてぇ

最近はスーパーの特売に敏感になり、すっかり主婦気分です。

 

前回の記事、割とたくさんの方に読んでいただけたりシェアしていただけたりと、ありがたいです。

気づけばこのブログも合計5000PVを超えていて、嬉しい限りです。

 

これからも細々と続けていきます。

20歳なったけど私はまだ経済的にも精神的にも自立してないので子供としてブログを続けます。アンパンマングミ。

 

今日のテーマは将来の夢です。

(日本で「将来の夢」っていうのは職業を指すことが多いので「将来の夢=将来なりたい職業」っていうのに当てはめて話しますけど、これもなかなかに解せぬ。)

このテーマ、私割と前からずっともやもやしていて。

小学生に将来の夢なんか言えって言うのすっごい違和感あるんですよね。その質問自体が。

そりゃ、もちろん今の小学生が将来どんなことしたいと思ってるか気になるけども。

私もやっちゃいそうなんですけど。

そりゃ、気になるけども、なんかもう、それ、空虚な質問やと思いませんか。笑

そんな、10年くらい生きただけで社会の仕組みとか情勢とか、どんな働き方があるかとかわからんでしょ。(頭ガチガチババァやん自分。)

私わからんかった。

そりゃ夢があるのはとても素晴らしいことですけど、そんな早くに将来の夢決めちゃったら、なかなかそれ以外のことに興味持てなくないですか。

私は持てなかった。

宇宙飛行士になりたい子が伝統工芸品の展示会とか行きたいと思わんくない普通。知らんけど。

なんでもかんでも興味持って、もう人生いくつあってもたらん〜とか言う小学生とかめっちゃ面白くないですか。知らんけど。

 

将来の夢書かせる作文とかわたしは必要ないと思うな。知らんけど。

 

ぼんやり思っとけばいいと思うんですけど。

ぼんやり、カレー好きやなぁとか、カレー好きやなぁとか、カレー好きやなぁとか。

それを将来の夢というものに落とし込もうとするから「カレー屋さんになりたい」とかになっちゃうんでしょ。

ぼんやりとしたカレー好きやなぁから、例えばスパイスの配合とか考え出して、なんかこうやって色々混ぜ方変えるん楽しくて好きやなってなって薬剤師に目覚めるかもしれんやん。

 

例え話の可能性低すぎん?

 

 

 

今回はそれとは少し違うんですけど、

 

なんで大人は周りの大人と将来の夢語り合うのに(語り合わないかもしれないけど)子供には質問して終わりなことが多いんですか。

ここでは「質問して終わりなことが多い」に留めてますけど、今まで大人と将来の夢について語り合うことってほんとになかったかもしれない。親とはあったけど。私は今まで将来の夢について質問される側だったというか今もおそらくそうなんですけど。自分が大人に向かって「将来の夢なんですか」って聞いたこととかほとんどなかったな。今はいじわるだからするけど。

 

大人の将来の夢とかめちゃくちゃ勉強になるやん。今、色々な選択肢から自分の道を選んできた大人が、次どんな道を選ぶのか。

まっさらなところから道を選ぶ行為とはまた全然違う。

すんごい聞きたい。

30年後の自分に聞きてぇ。

将来の夢は何ですかって。

その質問が当たり前になればいいのに。

 

おとなたち、準備しといてくださいよ。

自分が小学生とかに「将来何になりたいの?」って聞くときに、ちゃんと自分も聞き返されたら答えられるように。

聞かれて、はっとしないでください。

質問されたら質問し返すのが礼儀だと思ってますので私は聞き返しますよ。

覚悟しといてください。

好きな食べ物も、好きな音楽も、聞き返されるやん。

てかそんな話より、美味しいお酒教えてください。

 

 

 

将来の夢がある大人はまじでかっけぇ。

うちの父と母はだからかっけぇんです。それ以外にもかっけぇ理由はたくさんあるけど。

最近家族愛が溢れ出て溢れ出て....

もう、苦しいです。

これが.....恋...?

 

おとなたち、

おとなたち、わたしたちを定点観測をしないで

 

一緒に変わっていこうよ

 

おとなになっても変わり続ける楽しさを私たちに見せつけてよ

 

そして一緒になって、成長するって楽しいねって、変わるって楽しいね、って、話そう

 

すいません、こんな気分です

 

CHANELプロジェクトのみなさん、大好きです

「便利」は飽和するか

こんにちは。

 

みなさん、「便利」って飽和すると思いますか?

 

世の中ってどんどん便利になってますよね。

 

通販が生まれて家で買い物ができるようになった。

食器洗浄機が生まれて皿洗いをしなくてよくなった。

お風呂も洗濯も、ボタン一つ。

自動運転化も進んでいくのかしら。

 

どんどん世の中が便利になっていく。便利になったことで逆に複雑化して不便になっているもの(パソコンとか)もたくさんあるけど、しなくていいことは増えている感があります。

 

しなくていいことが最大限まで増えたとき、私たちの生活ってどうなるんでしょうか。

 

なんかもう、全てのことがボタン一つで、ボタン一つどころか声一つで、声一つどころか念じるだけでできるようになったら、私たちにとって「生きる」って何をすることになるんでしょうか。

 

そんな時代は多分来ないとは思うんですけど。(しなくていいってなったら逆にしたくなる現象が割とあるから 面倒なことってそれをしなくてよくなったときにしばしば恋しがられますよね)

 

便利になってるはずなのにどんどん忙しくなってる、みたいなのってよく言われてますよね。

それって、何かが便利になってもまだ不便なものが残っているからなんでしょうか。

全部便利になったら時間が生まれてゆっくり生活できる?そんなことありえる?

 

「完全な便利」ってなんだろう。

私たちって本当に便利を望んでいるのかな。

全部ボタン一つでできる世界を望んでいるのかな。

合唱コンに悩める全国の女子たちへ

みなさんこんにちは。

成人しました。

自分の幸せは自分で噛み締めて、気持ちのいい毎日をすごしていきたいですね。

 

さて、今回は題名にもあるように、合唱コンについて書きます。

 

みなさんは合唱コンのご経験はありますでしょうか。

私の中学では、各クラス学年統一の課題曲と、音楽の先生の用意した曲の中から選んだ自由曲(他クラスと被ったら抽選)の出来栄えを競う(先生と他クラスの実行員が採点)形式でした。

私も人生で3回しか経験はありませんが、どの学年の合唱コンも思い出深いものがあります。私は運動会よりも思い出深いかも。

思い出深いものって、やっぱりそれなりの苦悩があります。

私は真面目ガールだったのと、歌を歌うのが好きだったので、割とガチ勢でした。

ピアノも習っていたので伴奏もしていましたね。

最後の合唱コンではありがたいことに金賞をいただきました。

まぁどの学校の合唱コンでもあるあるなのが、

「ちょっと男子〜。真面目に歌ってよ」

ですね。

中学生男子はまだまだ精神的に未熟なので、「真面目に歌う方がだせぇ。ちょっとだらけててやる気ない俺イケてる」って心のどこかで思ってる奴が多いです。知らんけど。

奴らはそれを言ってもきっと「そんなこと思ってねぇしwwwwだりぃだけ。帰りて〜。」って言うでしょうけどね。知らんけど。

彼らは聞く耳を持たないので、まぁ〜、どうしょうもない。

こっちはガチでやってんのに、男声パートの声量カスすぎてふざけんなってなる。

 

一致しない熱量。

本番が近づくにつれて高まる焦り。

うまくいかない憤り。

 

クラス全体での作品なので、自分だけが頑張っても何も解決しません。

なんかもう、嫌になっちゃうよね。わかんなくなっちゃう。わかりみ。

 

そもそも、こうしたグループワークって歩幅合わせるのめちゃくちゃ難しいよね。

彼らから言わせれば、別に頑張る義務なんて無い。嫌々、参加してあげてるもの。

 

よく、「どうせやるんだったら一生懸命やろうぜ。取られる時間は一緒だぜ?」とか言いますけど、「どうせ取られる時間が一緒なら省エネモードがいいだろ」って言うやつもいるでしょう。

 

もう、どうする?

 

そんな人たちのやる気スイッチを押すことって、ほぼ、無理。

 

でも、彼らのことをわかってほしい。

 

誰だって、一生懸命になれないことはあるでしょう?

数学や体育、ダイエット、習い事などで一生懸命になれなかった経験はありませんか。

 

彼らに頑張ることを強制することってできないのよね。

 

クラスのものだから、とか、そんなの知らないやん。

本当やったらやりたいやつだけでやればいいやん。参加させられてる。

 

ね。

 

でも、ここまでやる気のねぇ奴、しかもやる気を出す義務がないやつと一緒になにかすることって、多分もう一生無いよ。

勉強は自分一人でするもんやし(異論は認める)、仕事はお金をもらうんだからそれ相応の働きは義務やし。

 

こんな経験はなかなかない。辛いよね。

 

でも、彼らに義務はない以上、「私たちはこんなに頑張ってるのに」とか、「クラスのみんなで頑張らなきゃいけないのに」とか「金賞ほしいのに」とか、そんなんで協力してもらえることってあるのかなと疑問。今となってはだけどね。

 

私たちガチ勢にできることは、とにかく感謝することだけだと思うんだ。

 

少しでも声を出してくれたら

ありがとう

練習に参加してくれたら

ありがとう

前より大きい声で歌ってくれたら

ありがとう

 

そして、合唱コン当日、

金賞とれたね、

ありがとう

って言えたらいいね。

 

あなたの脳内以外の情報について

連投失礼します

 

今から知らない人と出会うとしましょう。

1つの私の理想の出会い方。

私はもう、その人の脳内にあること以外のことを知りたくないです。

情報が怖い。

年齢も性別も職業も出身地も見た目も。何も知りたくない。

私はその人と話したいだけです。

あなたと話すときに不可避的に付随してしまうであろう脳内にあること以外の情報さえも怖い。

あなたにとってやさしさとは。

悲しいとは。

愛とは。

恋とは。

世界で一番美味しい食べ物。

なぜ猫はかわいいのか。

理想のトイレ。

 

私がただアウトプットしたいから話したいと言うのかもしれないし、本当はあなたのことをもっと知りたいのかもしれない。

あなたの家庭環境。あなたの服装。あなたの部屋。あなたの声。あなたの書く文字。

 

それと同時に、私のそれらを知ってほしいと思ってしまうかもしれない。

 

 

でも、私はもう、あなたの脳内以外のことに興味を持ちたくない。

 

脳内以外の部分に興味を持つことが怖い。

 

それによって私があなたに対してどのように態度を変えてしまうのか。

私の目に映るあなたがどのように変化するのかを私は知りたくない。

「服装や育ってきた環境、何もかも全て含めて、あなた」

であることはわかっている。それはそうでしょう。

でも、あなたの脳内はそういったあなたを形成する全ての要素を吸収した、あるいはそれらの要素を生成した、「あなた」のかたまりなんじゃないかと今の私は思っている。

 

あなたの脳内が「あなた」のかたまりならば、あなたの脳内にあること以外のことは、あなたの一部分でしかない。ほんの、一部分。断片。

 

その断片に惑わされるのが怖い。

きっとあなたの「かたまり」の一部にも惑わされるだろうけど、そっちの方がいい。